Fukunosukeです。
そろそろ、「何か切り替えなきゃいけない」と思うようになっています。
いえ、いまだに区切りどころではない人々が沢山いることは承知しています。
そういう未曾有の災害を「今日を区切りに忘れてしまおう」というつもりは
ありません。親類や近しい知人の親族兄弟に、被害に遭った人達もいます。
けれど、現実問題として、被災地の人々の困難と嘆きをすべて引き受け、
自分の身に起こった事として共感し続けていくことは、僕には難しい。
東京の、普段の生活では、ふと被災者の事を忘れて、仲間とのくだらない
ヨタ話にゲラゲラ笑ったり、美味しいものを食べて楽しい気分になっている
自分がいます。職場では、「震災はともかく業績を悪化させるな」という
プレッシャーに追われています。
けれど、夜のニュースやネットの情報を見て、さっきまで笑っていた自分に
ぞっとして、心を痛める。まるで、疎遠な縁者の通夜みたい。いったい悲しい
のか、楽しいのか。正直、自分の理性の部分が、自分の人間性を信用できて
いない事態だ。
こういう日々を続けていくことは、精神の平衡を保つにはいいことじゃない。
第一、誰のためにもなっていない。
僕は、僕なりにどうするべきなんだろう。どう振舞うべきなんだろう。
心に残ったブログがふたつありました。
ひとつは、被災者自身がその後の日々を綴る、荒川さんという方のブログ。
もうひとつは、陸前高田に医療チームの一員として赴いたナースさんのブログ。
※ ブログオーナーのお二人、すみません。勝手にリンクをはらせていた
だきました。
目をそらせない現実に立ち向かうしかない人々の言葉を前に、僕が考える
べき事は、何なのだろう。すべき事は、何なのだろう、そう思わざるを
えません。
その一方、先日のサッカーの試合を観て、不思議な気分にもなりました。
単なるチャリティーマッチという域を超えて、試合の最中は、ピッチの
選手と、観戦している僕らに、不思議な連帯感、一体感があった様に
思いました。
誰もが、44才になっても諦めないカズが、不屈のゴールを決めてくれ
たら、、、そう願っていたのではないかな。
そうしたら、本当に、これ以上ない素敵なゴールを決めてくれた。
カズの思いと、応援していた全てのサポーターの思いが結晶化した様な
ゴールだった。
その瞬間は、暗く澱んだ気持ちがパッと晴れたような気がした。これは、
いったいどういう奇跡なんだろう、何を暗示しているんだろうと、ぼん
やり考えたりした。
けれど、考えが定まらず、思いはあれこれ逡巡した。
今、日本中は、真っ暗な闇の中にいて、朧気にひとつ、薄明かりが見えつつ
ある様な、そんな状況ではないのかな。そんな風に思えてくる。
誰も、その薄明かりが闇を抜ける出口なのか、新たな試練の始まりなのか、
どのくらい遠いのか、皆目わからない。でも、そこに向かって歩いて行く
しかない気分になっている。そういう状況なのではないかな。
だとしたら、日本中、それぞれの人が、それぞれの状況、立場において、
その光が我々が進むべき先であることを信じて、そこに向かって行くしか
ないのではないのかな。
それがきっと、「今日より良い、明日につながる道」だと信じて。
小さな事でいいから、今日より良い明日になる様に、今できる事をしよう。
寄付でもいい、何かの手助けでもいい、仕事をがんばる事でもいい、身近な
人を思いやる事でもいい、仲間とのおしゃべりを楽しむ事でもいい、今日の
幸せを誰かに感謝する事でもいい。
そうだ、今自分が幸いである事を、遠慮しないようにしよう。萎縮してしまっ
たら、日本は一人分不幸せな国になってしまう。遠慮しない代わりに感謝しよう。
明日が今日より良くなるための何かを、ちょっとずつしていこう。そして毎日、
昨日より良い何かを見つけよう。そして一日一回は、被災した人達に思いを馳せ、
祈ろう。
そうしていく事で、一人でも多くの人にとって、今日より明日が良くなるなら、
いつか日本全体は、今日よりもきっと良くなる。
それはきっと、今、被災地で苦しんでいる人達のためにもつながると信じよう。
被災地の方々が失ったものは取り返してあげられないし、悲しみを消す事は
できない。
でも、今日より多少でもましだと思える明日があるなら、なんとか今日を乗り
切って、明日につなげていけるはずだから。
そう思う事にしよう。
今日のこの気持ちを、ここに書いておこう。僕はいい加減だから、こんな気持ちを
忘れる事もあるかもしれない。その時は、この記録を読み返して、反省しよう。
そんな風に心がけて、気持ちを切り替えて、前に進んで行こう。