ヒヨコ・イン・ザ・ワールド NEO

Fukunosukeとhiyokoのライフログ

長谷川等伯 松林図

Fukunosukeです。


14日の月曜、東京国立博物館へ。ここのところデラ寒いです。



日本を代表する博物館ですから、さすがに立派な建物。



この日の目当ては、長谷川等伯の松林図(国宝)。

“撮影していいの?”って思うでしょうが、何とOKなんです。他にも
撮影が許可されている物が沢山ありました。東京国立博物館は太っ腹。



等伯の松林図は、日本の水墨画の人気投票をしたら、1、2を争うくらい
人気がある作品と言われています。




朝もやの霧の中にぼうっと浮かび上がる松林。どの木もすらっと姿よく
背高で、繊細かつ幽玄な空気感。



近寄ってみると、意外にも荒々しい筆致。離れて観る印象とかなり
異なります。



オシャレですよね。これがもし家にあったら、しんと静まり返った松林の
中に自分がいるような錯覚にとらわれそう。


ところで、「これは襖絵か何かの下書きではないか」という説があるそう
です。紙の継ぎ目が乱雑で左右の高さが揃っていないことや、
上の写真に見られるような、かなり乱雑な筆遣い等がその根拠だそうです。
日本絵画のミステリーのひとつです。


等伯の他の作品は、それほど好きではない(←生意気)のですが、
この絵は好きです。すごくいい。500年前の絵画が、今観ても全く
古臭くない。こういう絵が描けるって凄い。


それにしても、これは安土桃山時代に生きた等伯の一枚。その作品を前に、
僕らは等伯と同じ何かを共有している。等伯が“我ながらここの枝振りが
よく描けたなぁ”、なんて思っている部分を、我々も「この枝がいいよね」
なんて語り合っているのかも知れない。「時代を超えて」というのは、
こういうことなのかな。

でもね、さすが等伯でも、この絵が何百年後に、デジカメとケータイを持った
未来人に鑑賞されるだろう、なんて事は想像もしなかっただろうなー。




もう一枚。円山應挙の波濤図(襖絵╱重文)。



これもすごい絵と思いました。よく考えれば、波の姿はあり得ない形(両側
から波が砕け散っている)。でも実物をみると、ほんとに海の上にいる様な、
船酔いしそうな気分になります。


波は一瞬として同じ形をとどめません。写真がないこの時代、見たものを
感じたまま絵にするしかない。だから“波の本当の形がどうであるか”
というより、“波を見た時の気分がどうであったか”が大事。それだけに、
よく描けた絵はその「気分」がよく伝わるんでしょうね。


これだけの作品を鑑賞できて入館料600円というのは、国の仕事も
捨てたものではありませんね。